ポンペイウスは古代ローマの歴史家として知られ、その著作はヘレニズム世界からローマ帝国初期に至るまでの広範な歴史を伝えています。このポンペイウス・トログスの膨大な歴史書『ピリッポス史』は、3世紀の歴史家ユスティヌスによって抄録され、現代においても重要な史料として評価されています。本記事では、ポンペイウスの業績とユスティヌスによる抄録の特徴や歴史的価値について詳しく解説します。
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まずは、ポンペイウス・トログスの著作の概要と、それを伝える最古の印刷本の一つについて見ていきましょう。
このセクションでは、歴史書の内容とその保存状況に関する具体的な情報を紹介します。
ポンペイウス・トログスの『ピリッポス史』とは何か
ポンペイウス・トログスは紀元1世紀頃のローマ時代の歴史家であり、彼が著した『ピリッポス史』は44巻に及ぶ大著です。
この作品は主に、マケドニア王ポリッポス2世の時代以降のヘレニズム世界の歴史を詳細に記述し、アッシリア帝国からアウグストゥス期のローマに至るまでの広範な地域と時代を網羅しています。
そのため、この書は単なるローマ史ではなく、地中海世界全体の歴史を俯瞰できる貴重な資料とされています。
特に注目すべきは、ポンペイウスが神話や伝説を排し、具体的な政治・軍事・文化の事実を中心に据えた点であり、当時のヘレニズム諸国の動向を理解する上で不可欠な文献です。
しかし、彼の原著は現存しておらず、その内容は後世の歴史家ユスティヌスによる抄録を通じて知られています。
このように、ポンペイウスの『ピリッポス史』は、ヘレニズム時代からローマ帝国初期にかけての地中海世界史を体系的に記録した歴史書として、学術的価値が非常に高いのです。
ユスティヌスによる抄録の意義と特徴
3世紀頃の歴史家ユニアヌス・ユスティヌスは、ポンペイウスの原著『ピリッポス史』から重要な箇所を選び出し、内容を大幅に縮小・編集した『ポンペイウス・トログスのピリッポス史抄』を著しました。
この抄録は、原著の全44巻に対し、数分の一の長さにまとめられているものの、歴史の大筋を損なわず伝えることに成功しています。
ユスティヌスは単なる縮約だけでなく、読者の興味を引く神話や伝説、道徳的な教訓を含むエピソードを選択的に取り入れ、物語性を高めています。
このため、中世以降は原著よりもユスティヌス版が広く読まれ、写本の数も多く残されました。
また、ユスティヌスの抄録は印刷文化の黎明期にも注目され、1476年にミラノでクリストフォルス・ウァルダルフェルによって刊行されたインキュナブラ(15世紀の初期印刷本)の一つとしても知られています。
この印刷本は現存する最古級の歴史書の一つであり、学術資料としての価値も極めて高いものです。
慶應義塾図書館所蔵の1476年版インキュナブラの特徴
慶應義塾図書館が所蔵する1476年6月1日刊の『ポンペイウス・トログスのピリッポス史抄』は、印刷史上非常に貴重な資料です。
この本はクリストフォルス・ウァルダルフェルによるミラノ刊行で、16世紀頃のベラム(羊皮紙)製本が施されています。
特徴的なのは、背表紙に16世紀の楽譜の印刷紙が再利用されていることで、当時の製本技術の工夫がうかがえます。
また、本文は1ページ34行で構成され、各章の冒頭には赤や青で彩色された大きなイニシャルが施されており、ページの装飾も華麗です。
特に巻頭の第1ページは金・青・緑・赤のインクを用いた美しい縁飾りと紋章が描かれ、歴史的な美術品としての価値も高いです。
残念ながら保存状態は完璧とは言えず、背表紙の破損や書き込みも見られますが、それも歴史的な資料としての味わいを増しています。
ユスティヌス 『ポンペイウス・トログスのピリッポス史抄』
ここからは、ユスティヌスによる抄録の内容と、その歴史的影響について深掘りしていきます。
ユスティヌスの歴史的手法や、後世での受容についても詳述します。
ユスティヌスの編集方針と歴史叙述の特徴
ユスティヌスは原著を単に短縮するのではなく、史実の中から読者の興味を引くエピソードや教訓的な内容を選択的に抜き出しました。
このため、抄録は歴史的事実の羅列だけでなく、物語性や道徳的メッセージを含むものとなっています。
また、神話的な要素や伝説は可能な限り削除し、実証的な歴史記述に重きを置いている点も特徴です。
この編集方針により、中世ヨーロッパの学者たちにとって理解しやすく、また教訓的な歴史書として重宝されました。
さらに、ユスティヌスの筆致は簡潔で読みやすく、政治的・軍事的な事件の記述においても要点を押さえた構成となっているため、当時の歴史理解に大きく貢献しました。
中世以降の写本と抄録の普及状況
ユスティヌス版『ポンペイウス・トログスのピリッポス史抄』は、中世ヨーロッパで数多くの写本が作られました。
現存する写本は4系統18種類以上に分類されており、その広範な流通がうかがえます。
原著が失われていく中で、ユスティヌスの抄録はヘレニズム時代の歴史を伝える唯一の手段となり、学問のみならず教養書としても重視されました。
また、写本の多様性は地域ごとの読者層や編集者の意図の違いを反映しており、歴史学的にも興味深い研究対象です。
加えて、印刷技術の発展に伴い、15世紀後半には本書の印刷版が登場し、さらに広範な読者に届くこととなりました。
このように、ユスティヌスの抄録は古代史の伝承において欠かせない役割を果たしています。
『地中海世界史』としての歴史的価値
ポンペイウス・トログスの著作は「地中海世界史」とも評されるように、単一の国の歴史にとどまらず多様な民族・国家の興亡を描いています。
これにより、ヘレニズム諸国からローマ帝国に至る歴史の流れを一望できる貴重な史料となっています。
ユスティヌスの抄録はそのエッセンスを凝縮し、歴史の教訓や文化的交流の様子も伝えるため、古代史研究のみならず、文化史や比較文明史においても重要な位置を占めています。
現代の歴史学においても、この抄録を基に多くの学説が展開されており、ヘレニズム時代の理解を深める鍵となっています。
そのため、ポンペイウスとユスティヌスの作品は単なる歴史書を超え、古代地中海世界の全体像を描く重要な資料として評価されています。
研究者だけでなく歴史愛好家にとっても魅力的なテキストとして読み継がれているのです。
まとめ
本記事では、ポンペイウス・トログスの『ピリッポス史』とその抄録を手掛けたユスティヌスの歴史的意義について詳述しました。
ポンペイウスの原著はヘレニズムからローマ帝国初期までの広範な歴史を網羅し、ユスティヌスの抄録は内容を凝縮しつつ物語性や教訓を盛り込んだことで、中世以降の歴史理解に大きな影響を与えました。
また、1476年に刊行されたミラノ版インキュナブラは、古代史書の印刷文化における重要な遺産であり、慶應義塾図書館が所蔵する貴重な資料として知られています。
これらの文献は、地中海世界の歴史を知る上で欠かせない史料であり、その価値は今日も変わることなく高いままです。
ポンペイウスとユスティヌスの作品は、歴史学の基礎を支え、古代の世界を生き生きと描き出す重要な遺産として、今後も多くの人々に読み継がれていくことでしょう。
