郷挙里選とは?九品中正・科挙との違いと中国官吏登用制度の歴史

中国史において重要な官吏登用制度には、「郷挙里選」「九品中正」「科挙」という三つの大きな流れがあります。これらは時代ごとに特徴や目的、選ばれ方が大きく異なり、中国の政治体制や社会構造に大きな影響を与えてきました。本記事では、郷挙里選を中心に、それぞれの制度の違いや特徴、歴史的背景を分かりやすく解説します。世界史や中国史の学習だけでなく、現代社会の仕組みを理解する上でも役立つ内容です。官吏登用制度の流れをしっかりと押さえましょう!

郷挙里選と九品中正と科挙の違い

郷挙里選・九品中正・科挙は、いずれも中国歴代王朝で実施された官吏登用制度ですが、その方法や理念は大きく異なります。ここでは、三制度の根本的な違いと、時代背景に着目しながら全体像を理解しましょう。それぞれの特徴を知ることで、中国社会の変遷や価値観の変化も見えてきます。

官吏登用制度の基本的な役割とは

中国の官僚制度は、国家運営の中枢を担う人材をどのように選び、配置するかが常に課題となってきました。郷挙里選や九品中正、科挙などの制度は、時代ごとの社会的要請や政治体制に応じて設計されたものです。
それぞれの制度がどのように誕生し、何を目的としていたのかを把握することで、単なる歴史用語以上の意味を見出すことができます。

郷挙里選・九品中正・科挙の比較ポイント

三つの制度を比較する際には、「選抜方法」「官吏の出自」「公平性」という観点が重要です。郷挙里選は地方長官による推薦制、九品中正はランク評価制、科挙は試験制と、選ばれ方が大きく異なります。
そのため、どの階層の人間が官吏になれたのか、そしてその結果社会にどんな影響を及ぼしたのかが変化していきました。

時代ごとの制度導入とその意味

前漢・後漢時代の郷挙里選、魏晋南北朝の九品中正、そして隋以降の科挙と、制度は時代ごとに刷新されてきました。
これは単なる人材登用の仕組みの違いだけでなく、王朝の権力構造や社会の安定度、そして階層間の流動性と密接に関わっています。制度の変遷を押さえることで、王朝ごとの特徴も理解しやすくなります。

郷挙里選

ここでは、郷挙里選について詳細に解説します。郷挙里選は中国古代における最初の本格的な官吏登用制度であり、後の登用制度の基礎となりました。どのように運用され、どんな特徴や問題点があったのかを見ていきましょう。

郷挙里選の成立と歴史的背景

郷挙里選は、前漢の武帝(紀元前2世紀後半)によって導入されました。当時、広大な中国を効率的に統治するためには、優秀な人材の確保が重要課題でした。
そのため、地方の長官が地域社会の中から「徳」や「才能」を持つ人物を推薦し、中央政府が官吏として登用する仕組みが作られたのです。
この推薦制度は後漢時代まで続き、中国官僚制度の原型となりました。

郷挙里選の制度内容と運用方法

郷挙里選では、地方の官吏(郡守・県令など)が「孝廉」「茂才」といった徳行や才能に優れた人を毎年一定数中央に推薦します。
推薦された人物は、一定の審査を経て官職に就くことができました。実力重視の面もありましたが、実際には推薦者の主観や地域社会の有力者との関係が大きく影響しました。
このため、現実には家柄や地元の有力者の子弟が選ばれることが多く、不公平感が生じやすい制度でもありました。

郷挙里選のメリットと問題点

郷挙里選は、地方社会の実情をよく知る長官の目を通して人材を選ぶため、人となりや実績を重視できる点が利点でした。
しかし、その一方で「家柄重視」「有力者の息子ばかりが推薦される」「賄賂や縁故主義が横行する」などの問題も深刻でした。
結果的に、郷挙里選の下では支配層が固定化し、官僚の質にもばらつきが生じやすかったのです。

九品中正

次に、郷挙里選の後を受けて登場した九品中正について解説します。九品中正は魏晋南北朝時代に確立された官吏登用制度で、社会の変化に合わせて新たな人材評価システムを導入しました。ランクによる評価制が特徴であり、貴族社会の成立と深く関わっています。

九品中正制の誕生と背景

九品中正制は、三国時代の魏の文帝によって導入されました。郷挙里選の問題点として「家柄偏重」や「長官の主観」があったため、より客観的な評価を目指して設計されました。
各地方に「中正官」と呼ばれる評価官を置き、地域の人物を9つの等級(品)に分けて評価します。
このランクによって任命される官職が決まる仕組みです。

評価システムと運用の実際

中正官は地方ごとに有力な家系や人物を評価し、九品にランク付けします。上位の品に入れば高官に、下位の品だと下級官職に任命されるなど、社会的地位が評価と直結しました。
一見すると実力主義のようですが、実際は評価基準があいまいで、中正官自身も地方の有力者と結びつくことが多くなります。
そのため、賄賂や縁故による不正、結局は「家柄優先」の社会構造が強化される結果となりました。

九品中正の社会的影響と問題点

九品中正制の下で成立したのが「門閥貴族」と呼ばれる支配階層です。官僚の地位が世襲化し、「上品に寒門なく、下品に勢族なし」という言葉が示すように、上位ランクは名門ばかり、下位は平民ばかりという固定化が進みました。
さらに、中正官に賄賂を贈れば高評価を得られるといった腐敗も拡大。
結局、庶民や新興勢力が官僚になる道はほとんど閉ざされ、社会の流動性は大きく低下してしまいました。

科挙

続いて、科挙について解説します。科挙は中国史上最も長く続いた官吏登用試験であり、家柄に関係なく学力と試験の成績で官吏を選ぶ画期的な制度でした。その特徴や時代ごとの変遷、社会への影響を詳しく見ていきましょう。

科挙制度の成立と特徴

科挙は隋の文帝によって始まり、唐、宋、明、清まで約1300年にわたり続いた試験制度です。受験者は厳しい学問試験(主に儒学)を受け、合格すれば家柄に関係なく官吏となることができました。
この制度によって、社会のあらゆる階層から有能な人材を登用できることになり、「実力主義」の象徴とされました。
特に宋以降、皇帝の権力強化や官僚層の刷新に大きな役割を果たしました。

時代による科挙の変化

隋・唐時代は、科挙が導入されても貴族社会の影響が強く、「蔭位の制(名門の子弟は無試験で官職につける)」などの抜け道も存在しました。
宋代になると皇帝による直接試験「殿試」などが導入され、貴族層の没落とともに科挙がより厳格・公平になりました。
明・清時代には朱子学が試験の中心となり、儒教的価値観に基づく人材育成が徹底されますが、社会の多様化や西洋との接触を受け、最終的には1905年に廃止されました。

科挙のメリット・デメリットと社会への影響

科挙は「実力で官僚になれる」という点で画期的でしたが、受験には膨大な学習や費用がかかり、やはり経済的に余裕のある士大夫階層が有利となる傾向がありました。
また、試験内容が儒学中心であったため、時代の変化や実務能力よりも暗記力・知識偏重の側面もありました。
それでも、科挙のおかげで中国社会に一定の流動性と能力主義がもたらされ、近代まで続く官僚制度の基礎となったのです。

郷挙里選と九品中正と科挙の違い

ここまで各制度の特徴を解説してきましたが、郷挙里選・九品中正・科挙の違いをもう一度整理し、比較してみましょう。それぞれのメリット・デメリット、社会的意義を理解することで、時代ごとの中国社会をより深く知ることができます。

選抜方法の違い

郷挙里選は地方長官の個人的推薦、九品中正は中正官によるランク付け、科挙は学力試験による選抜という大きな違いがあります。
推薦制やランク制は「人を見る目」や「社会的信用」を重視しますが、試験制は知識や学力を客観的に評価します。
この違いが、その時代の社会構造や価値観を反映しています。

登用される層と公平性

郷挙里選や九品中正では、実際には有力者や貴族の子弟が多く登用されていました。科挙は名目上は家柄不問ですが、実際には受験準備にかかるコストや教育環境の差から、やはり経済的・文化的に恵まれた層が有利でした。
それでも科挙は、下層階級からの出世の道を開く制度として、社会の流動性を一定程度確保できた点が重要です。
それぞれの制度の公平性の違いを知ることで、時代背景や社会の開かれ具合も見えてきます。

制度が中国社会に与えた影響

郷挙里選は家柄重視による支配層の固定化、九品中正は門閥貴族社会の成立、科挙は能力主義による一部社会流動性の促進、とそれぞれ社会構造に深い影響を与えました。
どの制度にも長所と短所がありますが、制度改革を通じて中国社会は常に「より良い人材登用」を模索してきたと言えるでしょう。
この流れを理解することで、中国史のダイナミズムがより立体的に見えてきます。

まとめ

今回は、郷挙里選を中心に、九品中正・科挙との違いについて詳しく解説しました。郷挙里選は前漢・後漢時代の推薦制、九品中正は魏晋南北朝時代のランク評価制、科挙は隋以降の学力試験制と、それぞれの登用方法や社会的インパクトは大きく異なります。どの時代も「優秀な人材をどう選ぶか」というテーマに真剣に向き合ってきた歴史があり、制度の変化は中国社会の発展や変革の原動力でもありました。
官吏登用制度の流れを押さえておくことで、世界史や中国史の理解がより深まります。ぜひ本記事を参考に、学習や知識の整理に役立ててください。